幼少の頃から書道をやってきたのだが、ふと昔、自分が書いてきた書を整理していた時に、高校生の頃に書いた一枚の書に目が留まった。
そこには、「鬼手仏心」の四文字が書かれていた。
映画を見ていた時に、その映像の中の額に飾られていた四文字に惹かれて題材にしたものだった。
文字通り、
「どんなに厳しいことをする時も、それは相手を心から思う気持ちがあるからこそ」
という内容だろうと、深い意味まで気にせずに、その四文字の漢字が持つ魅力に惹かれていたことを思い出す。
改めて、辞書で調べてみると、本来は医者(特に外科医)を現す言葉であるが、大体の意味は私が感じていたものと通じる。
まさに、生き方を示す言葉である。
フィロソフィにもあり、そして平澤からも教えられるように、「小善」と「大善」の考え方にも通じる言葉だ。
波風を立てず、その場しのぎ的な生き方は、誰からも好かれるかもしれないが、それは本当の優しさではないはずだ。
相手のことを本当に考えた真の優しさには、その奥に決してぶれることのない強い信念が秘められていると思う。
何事にも信念を持ってぶつかるからこそ、大なり小なりの波風が立つのだろう。
相手にどの程度まで伝わるかはわからないが、その信念を曲げない強い思いを持って生きたい。
「鬼手仏心」
今、まさに自分自身に求めらる言葉だった。
佐藤 吉行